看取り

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9月18日(金)

訪問入浴の日でした。

が、義父は、前日もほとんど食事をとりたがらず、血圧も下がっていて、

このまま入浴なんてできるのだろうか? と思っていました。

訪問入浴のスタッフの方々が、9時半に見えて、入浴前のバイタルを測ったのですが、

血圧が上が50とかなり低く、慌てていつもの訪問看護師さんに連絡をとりました。

看護師さんはすぐに来てくれることになりました。

訪問入浴は今回も中止となり、身体を拭くのみとなりました。

その後も、意識はあるものの、血中酸素濃度も低く、呼吸数がかなり多くて、

心配な状況になってきたので、主人に早退してもらいました。

夕方には、看護部長さんも見えて、義父の肩をさすりながら、話しかけてくれていました。

「うまく返事が出来ないだけですよね?

みんながここにいて、見守ってくれていることもちゃんとわかっていらっしゃいますよね?!」

と何度も、看護部長さんが義父の胸や肩をさすりながら、話しかけます。

涙が零れ落ちました。

 

9月19日(土)

主人も私も、付きっ切りで、そばにいます。

看護師さんや介護士さんは、いつものように、いつもの時間に来てくれました。

昼頃、義父を呼ぶと、アサッテの方を見ていて、反応がないのです!

慌ててまた、緊急に看護師さんを呼びました。

聴力は最後まであるから、話したいことや会っておいた方がいいと思われる方を

呼ぶようにと言われ、いよいよ危篤の状態になりました。

夜、三女が帰ってきて、

「おじいちゃん!」と泣き叫んでいました。

手足は冷たく、マラソンランナーがものすごいスピードで走っているような呼吸です。

もう血圧も血中酸素も、自宅では測れない状況です。

夜中は、呼吸が落ち着き、手が多少温かくなっていました。

なので、持ち返したかと思いました。

 

9月20日(日)

早朝、口を開くような動作をしたので、主人が「なんだ?何か食べたいのか?」

というと

「くだもの」と言った感じがしたので、バナナをほんの少しだけ、口に入れました。

しばらくすると、また呼吸が乱れてきて、私が少しそばを離れた時、

急に主人に呼ばれました。

娘とすぐに行ってみると、呼吸がもう止まりそうになっていました。

「お父さん!お父さん!」と何度も声をかけると、

突然、少し大きく息をして、そして、そのまま息を引き取りました。

 

8時5分でした。

看護師さんと看護部長さんがまた来てくださり、日曜日だったので、

緊急診療の医師もいらっしゃり、死亡を確認し、

死亡診断書を書いてくださいました。

 

看護部長さんが、

「いろいろな家庭を見てきましたけれど、本当にこんなに丁寧に介護している家庭は初めてでした。

とても学ばせていただきました。」

と言ってくださり、救われる想いがしました。

義母が亡くなったときにも利用させていただいた葬儀会社さんに来ていただき、

葬儀の段取りを済ませました。

 

9月22日(火)~秋分の日

湯灌にきてくださいました。

まるで訪問入浴のように、ベッドの横にお風呂が設置されます。

「お父さん、やっとお風呂に入れたね。」

義父は、気持ちよさそうでした。

 

その後、スーツに着替え、納棺を済ませました。

戦後 大手新聞社を勤め上げた紳士な姿に戻りました。

 

9月26日~27日

遺言のとおり、家族葬を済ませました。

 

 

こんな風に書けたのも、真剣にいのちと向き合い、

自分自身と向き合うことができたからだと 自負しています。

 

本当に貴重な体験でした・・・。

 

何回かこのブログにも正直に書いてしまったように、

退院後、10日もつか?と言われていたのに、

「いつまでこんな介護生活は続くのだろうか?早く自由になりたい!」

と 正直思ってしまいました。

義父は誤嚥性肺炎だったのに、今度はどんどん認知症になっていき、

食べた直後にまた同じものを食べたがり、痛みのケアもしたばかりなのに、

同じことを訴えられ、どうしたらいいか分からず、

本気で喧嘩をしてしまいました。

そのあとは、決まって自責の念に陥り、

そんな自分の醜さを ほとほと見せつけられました。

 

「他人の人生に介入するな!

自分の人生は自分で決めて生まれてきているのだから!」

と頭ではわかっていても、イライラしてしまいます。

 

また、義父の「生きたい!食べたい!」という本能を見たとき、

15年ほど前に、病院で、延命治療をせずに逝かせてしまった実母のことを

思いました。

「本当はもっともっと生きたかったのではないだろうか?!」

と今更ながら、考えました。

 

病院では、治療の代わりに、自由になれませんが、

逆に自宅では、本能に従って、丸裸で生かされている状態です。

 

ずっと一緒にいるのと、時々お見舞いに行くのとでは、全く違います。

 

家族の、大変さ、自分との闘い、辛さと

本人の、自分でもどうすることもできない想いとの闘い、

生きたい!食べたい!という執着、「死」への恐怖など・・・

 

どちらにしても、当人にしか、本当は、本当の気持ちはわからないのです。

 

「正解」も「不正解」もないのかもしれません。

 

それでも、

一口でもたくさん食べさせて、一日でもたくさん生きて欲しいと

願う主人をみて、これを本当の愛情というのであろうか?

もう99歳。身体も疲れているのに、逆に傲慢なのではないか?

いやいやそう思う私こそ、冷酷な人間なのか?!

 

本当にいろいろな自分と葛藤を続けました。

そこに愛はあるのか?と・・・。

 

瞑想を続けました。

 

それからお友達に紹介していただいた

『問題は解決するな』(kan.著)という本を読んだり、

魂レベルで感じられる方に 伺ってみたり、

看取り士の方に聞いてみたりしました。

 

次第に、何かに抵抗していること自体に、疲れてきました。

 

「あずかりしれないこと」と、私は感じたのでしょうか??

だんだんと・・・それから、流れに身を任せることが

出来るようになってきたように感じます。

 

しばらくすると、自分自身を 遠巻きに見れるようになってきました。

 

これは多分きっと、これまでも・・・

例えば子育てやパートナーシップなどの問題などでも、あったのだと思います。

それは自我なのか? 一点の曇りのない愛なのか?

常にそこが問われているのですね。

そして、

その状態であることを堪忍して、受け容れること。赦すこと。

明け渡して、すべてを大信頼し、委ねること。

 

その境地にたどり着くまでには、自分の怒りと闘わないとならず、

そこをじっくり見ていくと、今度は、

以前 味わったことのある寂しさだったり、

嫉妬心などが顔を出します。

 

生まれてきたころは、もちろん、ただただ純粋な魂だったのに、

だんだん魂を美しく見せようとお化粧をし、化けの皮を外すかのように、

いろいろな私が顔を出すのです。

 

本当は何にも怖がらず、さっさと剥がしてしまえばいいのにね。

 

でも、この5か月間の、その時間が、

私にも、義父にも、主人にも

きっときっと 必要な時間だったのでしょう・・・。

本当にたくさんのことを学ばせていただきました。

 

 

まだ四十九日は済んでいませんが、

仏壇に、ご飯とお茶をお供えし、

いつも見守ってくださるご先祖様たちに お礼をいたします。

夕方には、お下がりをいただき、

今日も無事に生かしていただけたことに 感謝いたします。

 

 

先月9月は、満月の頃、4日に孫がまた一人生まれ、

20日のお彼岸に義父が亡くなりました。

宇宙の流れを感じるとともに、

こうして「生まれること」「死ぬこと」

そしてその間で、「生きること」を深く考えさせられます。

 

 

投稿者プロフィール

MOTHERS NET
MOTHERS NET
*個性豊かな4人の子どもと夫との、ステップファミリーです。

離婚、子連れ再婚やいじめ問題、不登校、両親の死などの
経験のそのすべては、本当の自分に還るための、より豊かに幸せに生きるための贈り物であったことに、あとから気づかされ、

これからは、「本当の自分」を大切にし、魂がワクワク喜ぶ人生にシフトチェンジして、

絵本や絵やポストカードなどを創作しています。

それは、心の扉を開いたとき、

「本当の自分」を大切に守ることができる「宝石箱」。

それが、この地球に生まれてきてくれた子どもたちが、贈ってくれている
なによりものメッセージではないかと思うからです。

日々の、その一瞬の色や光を ゆっくり味わい感じ入ること。
そんな自分を大切に信じること。
出会った家族や友人、恩師、知人とともに創造する人生を尊重し合うこと。
をモットーにブログを綴っています。


*自分の原点ともいえる、親との関係を振り返ったとき、弱い自分を認めて受け容れたとき、ました。

*このブログでは、子育てやパートナーシップや仕事に挫折した私が、
自分の人生を振り返り、本当の自分に還って、私の感性を取り戻し、私が最も大切にしたいことや夢や生きたかった人生を創造していくさまをそのまま綴っています。

*色や光で自分を解放しながら、自分自身と向き合い、私が好きな世界観を表現し、森羅万象の一部として、静かに命を味わい尽くしたいと思っています。












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