表現する子としない子

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息子がまだ小学生の頃、

夏休みが終わった後の保護者会で

息子の友達のお母さんが言っていた言葉が

今でも心に残っています。

 

 

 

そのお友達は、成績がよく、大人しめで、優しいお子さんでした。

弟がひとりいました。

 

 

 

夏休みに飼っていたカブトムシが死んでしまったとき、

弟は大泣きしていたのに、

お兄ちゃんの方は、あまり表情を見せずにいたというのです。

 

 

その様子をお母さんがじっと見ていたとき、

最初はなんて冷たい子なのか・・・と思ってしまったというのです。

でも、しばらくすると、

瞳に堪えきれない涙をためていたのを見た途端、

「親はつい気持ちを表現する子の方に

関心が行ってしまったり

気持ちが動いてしまいがちだけれど、

 

カブトムシが死んで泣いている弟の傍らで

じっと堪えている長男の様子を見ていたら、

今までも長男の気持ちを察することが出来ないで

いたことがあったかもしれない」

と深く反省させられた・・・というのでした。

 

 

すてきなお母さんだな~と思いました。

 

 

一見、とてもたわいもないことなのですが、

実は、結構大事なことだと思うのです。

 

 

「表現出来る子」 と 「表現出来ない子

 

ではなくて、

 

 

「表現する子」 と 「表現しない子

 

の違いだけなのだと思うのです。

 

 

「甘えられる人」 と 「甘えられない人」

 

という、言われ方もしますが、

 

それも

 

「甘える人」 と  「甘えない人」

 

 

という違いだけ。

 

 

気持ちを表現したり、

甘えることが出来る方が

確かに人に伝わりやすいし、

可愛げがあるかもしれません。

その方がきっと得するでしょう。

 

 

 

かつて私もよく親や親戚に

「愛嬌がない」とか

「女の子なのに、可愛げがない」とか

「何を考えているのかよく解らない」とか

 

言われて続けました。

 

その方が人間関係が潤滑になるし、

得するから・・・と心配してくれていたのかもしれません。

 

でも、そう言われると余計、萎縮してしまって

何にも言えなくなってしまうのです。

言葉を発することすら怖くなってしまうのです。

 

 

表現しなくても、

実はふかーく ふかーく、思っていたかもしれない。

 

 

表現したくなったら、きっとするでしょう・・・。

 

 

 

その人しかそれはわからないことです・・・。

 

 

例え、それが我が子であっても、

自分でない人はみな他人です。

 

我が子だからといって、

勝手に思い込んで決めつけてしまうのは、

とても危険です。

 

 

我が子であっても、他人。

 

他人の気持ちは100%解っていない・・・

 

ということを解っていたいものだなあ~と

 

ふと、そんな出来事を思い出したのでした(笑)

 

 

 

投稿者プロフィール

MOTHERS NET
*個性豊かな4人の子どもと夫との、ステップファミリーです。

離婚、子連れ再婚やいじめ問題、不登校、両親の死などの
経験のそのすべては、本当の自分に還るための、より豊かに幸せに生きるための贈り物であったことに、あとから気づかされ、

これからは、「本当の自分」を大切にし、魂がワクワク喜ぶ人生にシフトチェンジして、

絵本や絵やポストカードなどを創作しています。

それは、心の扉を開いたとき、

「本当の自分」を大切に守ることができる「宝石箱」。

それが、この地球に生まれてきてくれた子どもたちが、贈ってくれている
なによりものメッセージではないかと思うからです。

日々の、その一瞬の色や光を ゆっくり味わい感じ入ること。
そんな自分を大切に信じること。
出会った家族や友人、恩師、知人とともに創造する人生を尊重し合うこと。
をモットーにブログを綴っています。


*自分の原点ともいえる、親との関係を振り返ったとき、弱い自分を認めて受け容れたとき、ました。

*このブログでは、子育てやパートナーシップや仕事に挫折した私が、
自分の人生を振り返り、本当の自分に還って、私の感性を取り戻し、私が最も大切にしたいことや夢や生きたかった人生を創造していくさまをそのまま綴っています。

*色や光で自分を解放しながら、自分自身と向き合い、私が好きな世界観を表現し、森羅万象の一部として、静かに命を味わい尽くしたいと思っています。












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