娘の不登校のこと

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長女は中学受験をして私立中学に入学したのですが、

中学二年生の頃、学校に行きたがらなくなってしまいました。

 

まだ当時は「不登校」という言葉ではなく

「登校拒否」と言われる時代でした。

 

「登校拒否」というと、登校を拒否している悪いイメージに

聞こえるので、

「不登校」に変えたのかもしれませんね。

 

いずれにしても、折角、難関を乗り越えて入った学校に

行きたがらないのは本当に困りました。

高い学費だって払っていますし・・・。

 

当時の担任の先生は厳しい数学の先生だったからか?

「登校しないのは仕方ないにしても、

必ず毎朝本人に学校に欠席の連絡をさせるようにしてください」

と言われました。

 

まだ寝ている枕元に電話を持っていき、

学校に連絡するように伝えるのも、とてもしんどいものがありました。

 

その頃、私は一番末の娘が生まれて間もない頃でもあったので、

中学生になっても赤ちゃん返りってあるのかな?

と思いました。

 

マンションに住んでいたので、

周りの人の目も気になってもいましたが、

このまま部屋に引きこもっていても身体にも良くないので、

下の子をベビーカーに乗せて

一緒にお散歩に行ったりしました。

 

担任の先生から、学校にあるカウンセラー室に行くように言われ、

娘だけだったり、親子だったりで、

受けに行くようになりました。

 

心理カウンセラーの先生から

「箱庭療法」での指導を頂いたり、

アロマ療法を教えてもらったりしました。

 

 

また、「普通」に「普通の子どもたち」のように、

元気に学校に通ってほしいと

「普通」に思っていました。

 

その「普通」とはいったいなんだったのでしょう???

 

今思えば、それも単なる親のエゴ。

勝手に決めた

親自身が安心できるように、

勝手に決めた判断基準、尺度だったのだと思います。

 

 

娘は、中学受験という時間を必死に費やしてきて、

それまで小学校でもスーパースターだったのに、

中学に行ったら、愉しい青春時代が待っていると思ったのに、

いざ、中学に入ってみたら、もっともっと優秀な人がたくさんいて、

また同じように勉強ばかりの人生にホトホトイヤ気が指して

学校に行きたくなくなった。

というのです。

 

中学一年生の頃は友達と

映画やカラオケに行くようになっていましたが、

外を見たら、こんなにステキな場所があったのに、

それを知らずに居たギャップも感じていたようでした。

 

私の青春は一体どこにあるのだろう・・・。

と・・・。

 

実は娘にとって、

それは「自分」に目覚めた宝物のような「貴重な時間」だったのです。

ところが、それを担任の先生に話すと、

「そういうことを言う子に限って

大人になったらただの人になるんだよ」

と言われ、私の中でも少なからずガラガラと音を立てて崩れ落ちるものがありました。

 

私自身もそんな言葉を聴きたくて

この学校に入れたわけではない・・・と・・・。

 

 

娘の想いと担任の言葉を聞いた時、

完全に子育てを失敗したと思いました。

 

私が私なりの想いで中学受験をさせてしまった弊害なのだと

罪悪感でいっぱいになってしまい、

すっかり「負のスパイラル」にはまってしまったのです。

 

自分の子育ての間違い探しをしても始まらないのに・・・。

 

 

また行政がやっている不登校の子を持つ親の会に参加したりもしました。

 

一番下の子は、まだよちよち歩きの1歳でしたし、

4人の子どもがそれぞれの時代を生きているので、

ひとりの子どもの悩みに付き合って、

悶々としてしまう暇もなかったのは、

それはそれで良かったのかもしれませんが、

実父が脳梗塞で倒れたり重なって、

心身ともに疲れ切っていました。

 

そんなある日、「東京シューレ」という

不登校の子が通う学校のことを耳にし、

親子で説明会に行きました。

 

既にそこで自由に学校に行かない時間を過ごしている子どもたちが

たくさんいました。

 

説明会では、大きな輪になってひとりひとり、

どうして不登校になってしまったかを話す時間があったのですが、

その中でも当時印象的だったのが

お友達同士でコンビニに行って買い物をしていると

そのお子さんだけが買い物が遅くて、

疎外感を持ち始め、不登校になってしまったとのことでした。

 

娘は結局、そこが主催する

山村留学を選ぶことになり、

その私立中学をお休みして、

長野のロッジで過ごしました。

 

最初は夜中にスキーをしたり、

夜中に釣りをしに行ったり、

満天の星空の下で、遊んだり・・・

楽しかったみたいなのですが、

 

でも、娘は勉強することが嫌いではなかったので、

持っていった勉強道具で朝から勉強をしていると、

昼まで寝ていた友達から

「なんで勉強なんてしているんだよ」と言われてしまい、

 

なんとなく居場所がなくなってしまって、

結局1ヶ月半で帰ってくることになりました。

 

そして元の学校に戻ることを自分で決めて、

ホームルームで、自分の言葉で

自分のことを説明し、

そのまま、高校3年生まで過ごしました。

 

その後、高校2年の頃に、いじめに合うことになるのですが。

 

 

 

もちろん、私にとっては生まれて初めての子育てで

その上、私は離婚もし、再婚もし、

いろいろな意味で子どもが育つ大地が揺らいでしまって、

娘は大いなる愛を受け取れていない幼少期があったと思います。

 

なのに、勝手な物言いに聞こえるかもしれませんが、

ですが、それでも、

娘は娘なりに、中学受験や不登校やいじめ体験を通して、

親の指示に従うのでも、

友人になびくのでもなく、

自分の人生を選択する力がかなりついていると

思っています。

 

 

 

今では結婚し、パートナーと一緒にバックパッカーで

世界一周したり、

家庭教師の仕事をしたり、

家庭菜園したり、

本当に人生を愉しんでいます。

 

 

それもこれも、

彼女の選択の力だと

親バカながらそんな風に思います。

 

信じていれば

必ずなんとかなります!

 

きっとあなたも、

それが親子であっても、

つかず離れずの距離で

お互いの人生の幸せを祈りながら

共に生きていけますように・・・。

 

投稿者プロフィール

MOTHERS NET
*個性豊かな4人の子どもと夫との、ステップファミリーです。

離婚、子連れ再婚やいじめ問題、不登校、両親の死などの
経験のそのすべては、本当の自分に還るための、より豊かに幸せに生きるための贈り物であったことに、あとから気づかされ、

これからは、「本当の自分」を大切にし、魂がワクワク喜ぶ人生にシフトチェンジして、

絵本や絵やポストカードなどを創作しています。

それは、心の扉を開いたとき、

「本当の自分」を大切に守ることができる「宝石箱」。

それが、この地球に生まれてきてくれた子どもたちが、贈ってくれている
なによりものメッセージではないかと思うからです。

日々の、その一瞬の色や光を ゆっくり味わい感じ入ること。
そんな自分を大切に信じること。
出会った家族や友人、恩師、知人とともに創造する人生を尊重し合うこと。
をモットーにブログを綴っています。


*自分の原点ともいえる、親との関係を振り返ったとき、弱い自分を認めて受け容れたとき、ました。

*このブログでは、子育てやパートナーシップや仕事に挫折した私が、
自分の人生を振り返り、本当の自分に還って、私の感性を取り戻し、私が最も大切にしたいことや夢や生きたかった人生を創造していくさまをそのまま綴っています。

*色や光で自分を解放しながら、自分自身と向き合い、私が好きな世界観を表現し、森羅万象の一部として、静かに命を味わい尽くしたいと思っています。












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